山谷脳中記

創作活動とドールが好きな駆け出しSEの忘備録です。

怖い話が好きだという話

私は怖い話が大好きです。

 

元々父親が超常現象などが好きで、小さい頃からテレビでそういった類の番組をよく見てたからかもしれません。(父親自身もUFOを見たことがある旨を主張していますが多分飛行機とか流れ星だと思う)

 

小学生の頃は「オカルトクラブ」と称し変わり者の友達と近所の廃墟を見学したり神社や森で遊んだりして面白がっていましたし、中学生の時分は朝読書の時間があり、新耳袋やそれに類似した作品を読んで楽しんでおりました。

 

トンネル、誰もいない家、防空壕の跡地、神社、廃墟、無機質な場所…などなど。

何となく怖いモチーフってあるじゃないですか。

そういったものの厳かな佇まいや、読んで想像する図に美術的な感動も含まれていると思います。

また、現実的な話なのにどこかファンタジー要素があって、心のどこかに不思議な事は本当に起こるのかもしれないという期待が育っていくのもワクワクして面白いです。

その他いろいろな要因もあってどこか不安な世界観に憧れがあり、サイレントヒルの世界観やベクシンスキー氏の絵がストライクゾーンです。

 

 

さて、そんな中でも苦手だったものがあります。教会です。

通っていた幼稚園は仏教系だったため、お寺については怖いけどまぁ慣れていましたし、それもあって怖い話を楽しめていたんだとおもいます。

しかし、教会は入る機会なんて滅多にないので抵抗感のようなものがありました。

また、聖歌(FFCCのレベナ・テ・ラみたいなやつ)やフレスコ画などはなんだか知らないけどすごく恐ろしいものに思えてならず、中でも血や怪我、死について描かれている宗教画がとても苦手で、生々しさに吐き気がするレベルでした。

未知の言語や、荘厳で恐ろしくありながらも神聖に崇めたてられているのが、幼い時は理解が及ばなかったんだと思います。

 

ただ、成長を重ねるにつれて非常に魅力を感じるようになり、神聖で恐ろしくて浄化されそうな無機質な空間を私も作りたいなぁと思うまでになりました。

未だに流血系宗教画は得意ではありませんが、今では教会という所は素敵だと思います。

 

なぜこんな記事を書いたかというと、下記のまとめを読んだからです。

krayzielixy.blogspot.com

 

以前読んだことがあったのですが、今日無性に見たくなりました。

崖の上のポニョについてのオカルト考察を行っていてすごく共感というか、感動します。とんでもないことを言っているのに納得してしまう、そして心境を必死に文書化する情熱がとても素晴らしいです。

 

この中で触れられている何となく皆がもっている不安 という内容の分に酷く共鳴したところがあるのでブログをしたためたくなりました。

すごくわかるし、私が創作で目指している部分でもあるなぁと。

暗い夜道などの恐ろしさとは違う、救済のために死。

でも死ぬのは怖い事じゃないんだよ!と言っているスレ主の感覚が羨ましいなぁと思いました。まさに私が恐れた教会というものの在り方というか…多分違うんですけど感覚的にそうというか。

そういう白い恐ろしさみたいなものを私も作品に生かしていきたいという憧れです。

なんだか自身の怖い話に対する嗜好性を追っていくと成長の歴史が見えるなと思いました。

 

面白いので是非読んでみてほしい記事。